広島高等裁判所 昭和47年(う)243号 判決 1973年8月10日
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金五万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
本件公訴事実中業務上過失傷害の点については、被告人は無罪。
理由
控訴趣旨第二(事実誤認および法令の適用の誤りの主張)について
論旨は要するに、原判示第一の追突事故による飯垣照彦の受傷は、日常生活上看過されるような極めて軽微なものであつて、業務上過失傷害罪における傷害に該当しないのに、右受傷を傷害にあたるとして、被告人に対し業務上過失傷害罪の成立を肯定した原判決は、事実の確認もしくは法令の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。
所論にかんがみ記録を精査して検討するに、<証拠略>によると、原判示第一の追突事故をうけた飯垣照彦は右追突事故の、翌日の午前中真田外科医院で診察をうけ、その際真田医師に対し前日の追突事故で後頭部から項部(首の裏)に痛みと重い感じがするほか、腰が少し痛い感じがすると症状を訴えたこと、同医師は、飯垣の訴える症状について他覚的所見を認めなかつたが、同人の訴える症状からみて、追突により頸椎腰椎に僅かながらも衝撃をうけ、いわゆる「むち打ち」の初期の症状(軽度)が現われたものと考え、頸椎捻挫、腰椎捻挫と診断し、また全治見込期間についでも、一回限りの診断のうえ他覚的症状が認められないことから適確に予測することは困難であつたが、患者から診断書を求めらいれた場合、外科医の通例として三〜四日間とか書かず、一週間とか一〇日間または二週間といつて期間を選択するので、これにならつて全治見込期間を一〇日間程度とし、患者の症状の経過を観察するためとりあえず投薬三日分を与えたことの事実が認められ、これによれば、飯垣の受傷についての診断において、全治見込期間を一〇日間程度と判断したことの合理性には一沫の疑念を感じさせるけれども、飯垣が真田医師に症状として訴えたところが真実である限りにおいては、たとえ他覚的症状が認められなかつたとしても、生理機能に障害を与え健康状態を不良に変更したものとして、一応傷害に該るものということができる。
そこで、進んで右受傷に関する飯垣の供述をみるに、同証人の原審における供述記載によれば、同人が追突をうけた当時の衝撃は運転席に乗つていて体に判る程度で、衝撃をうけた瞬間体に異常を感ずるとか体が痛いとか、あるいは頭がボーツとなるといつたことはなかつたこと、同人は事故後も引き続き運転業務を続け、夜間勤務を終了して営業所で就寝したが、翌朝起きた際少し体のだるさを感じ、また昨夜の追突事故の影響で頭と肩が少しおかしいかなといつた程度の感じをもつたが、右のような体のだるさや懸念もその時限りで消失し、起床後の車両運転にあたつて身体の痛みや疲労倦怠感を格別感じなかつたこと、同人が勤務時間明け直後に医師の診察をうけたのは、前夜の交通事故により後日万一後遺症などが出るようなことがあつた場合にそなえ、一応医師の診察をうけておくことが得策と考えたがためであること、医師の診察をうけたのは右の一回限りで以後全く治療をうけておらず、また与えられた飲薬も服用したかどうかも覚えておらず、その後においても、身体の痛みや疲労倦怠感などはなく、従前通り就労して現在に及んでいることの各事実が認められるのであつて、右にみた飯垣の生理機能ないし健康状態に及ぼした影響の度合や医師の診察をあえて求めた事情に照らすと、前記真田医師の診察に際して飯垣が自覚症状として訴えた身体症状には、多大の誇張を交えた愁訴と疑う余地が多分にあり、たやすく信用し難いところである。
そして、右の見地から前記真田医師の診断結果を再検討してみるに、他覚的所見の認められない飯垣の診察にあたつて、医師としての専門的知識、経験を基磯に問診、視診、触診などの手段を用い、能う限り適確な診断を行なうであろうことは推察に難くないところであるが、一回限りの僅か数分間の診察にあつては、同医師の供述自体からも窺われるごとく、飯垣が自覚症状として訴えた身体の症状内容が病名、症状を確定判断するうえに大きな影響を及ぼしているものと認められ、同人が自覚症状として訴えた身体症状に疑いがもたれる以上、真田医師の前記診断の価値もおのずから減殺されるものというべく、結局同医師作成の診断書および弁護士角田光永宛の書面をもつてしては、いまだ頸椎捻挫、腰椎捻挫の受傷があつたものと認めることは困難である。一方、飯垣の前記供述中には、追突事故の翌朝起きた際少し体がだるかつた旨の供述があり、右のような身体の疲労倦怠感も生理機能の障害といえなくはないが、右供述によると、体のだるさは一過的であつたことが認められるのであるから、生理機能の障害も一過的な現象として間なしに回復したもというべく、右のごとく持続性をもたない生理機能の障害は、いまだ業務上過失傷害罪にいう「傷害]に該らないものと解するのが相当である。そして、他に記録を精査するも、飯垣の身体傷害につきこれを肯認するに足る証拠はないところであるから、原判示第一の業務上過失傷害罪につき、傷害の点の証明が十分でないものといわねばならない。
そうすると、傷害の結果が発生したことを前提とする業務上過失傷害罪にあつて、傷害という結果発生についての証明がない以上、右罪を肯定するに由なく、被告人に対し業務上過失傷害の罪責を肯定した原判決は事実を誤認し、ひいては法令の解釈適用を誤つた違法がある。論旨は理由がある。
控訴趣旨第三(法令の適用の誤りの主張)について
論旨は、原判示第二の無免許運転と同判示第三の酒酔運転とは同一の運転行為にもとづく違反所為であるから、観念的競合にあたるものとして処断すべきであるのに、これを併合罪として処断した原判決は法令の適用を誤つている、というのである。
しかし、道路交通法六四条(無免許運転の禁止)と同法六五条、一一七条の二・一号(酒酔運転の禁止)(昭和四五年法律八六号による改正前のもの)によつて規制される対象は、それぞれ性質を異にする事項に属し、両罪の所為がたまたま同一の運転の機会に行なわれたとしても、両者は一所為数法(観念的競合)の関係にあるものではなく、いずれも別個独立の犯罪を構成し、併合罪の関係にあるものと解するのが相当であるから、原判決の法令の適用には誤りはなく、論旨は理由がない。
しかしながら、前記第二の論旨に対する判断で示したとおり、原判決には原判示第一の罪につき判決に影響を及ぼす事実の誤認(ひいては法令の適用の誤り)があるから右の罪に関する部分はもとより、これと刑法四五条前段の併合罪の関係にあるものとして一個の刑を宣告している原判示その余の罪に関する部分、もともに破棄を免れない。
よつて、その余の論旨に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に則り直ちに判決する。
原判決の認定した原判示第二、第三の事実に法律を適用すると、被告人の同判示第二の所為は昭和四五年法律八六号による改正前の道路交通法一一八条一項一号、六四条に、同判示第三の所為は前同法一一七条の二・一号、六五条、昭和四五年政令二二七号による改正前の道路交通法施行令二六条の二にそれぞれ該当するので、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により所定罰金の合算額の範囲内において被告人を罰金五万円に処し、同法一八条により右罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することにする。
なお、本件公訴事実中業務上過失傷害の点(昭和四七年五月一六日付起訴状第三の事実)については、さきに説示したとおり犯罪の証明がないから、刑訴法四〇四条、三三六条により無罪の言渡をする。
よつて、主文のとおり判決する。
(牛尾守三 村上保之助 丸山明)